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埼玉県川越市で筆跡診断なら筆跡研究所にお任せください。

筆跡とは、人間の「書く」という行動の結果残された痕跡です。

私達は、他の日常行動と必ず対応している筆跡を研究しています。

筆跡研究所

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筆跡研究所とは
筆跡とは、人間の「書く」という行動の結果残された痕跡です。そして、行動には必ず行動する個体固有の傾向が付帯するもので、それは筆跡にも表れます。例えば日常行動で何かをしようとする時、次から次へ間をおかずにやるいわゆるせっかちの人は、字を書く時にも、一字一字の間を密着させてどんどん書いていきます。反対にのんびり型の人は、字間を広めに開けて書きます。私達は、他の日常行動と必ず対応している筆跡を研究しています。

【所在地】 〒350-1114 埼玉県川越市東田町9-2 平野ビル2A

目的から探す
書道教室
くずし字解読
筆跡診断
書かれた筆跡の特徴から行動傾向(適性等)や心身の状態(ストレス等)を分析します。
陶器のハンコを主に筆置き・ペーパーウェイト、土鈴などを作ります。
書いた人が同一人物かどうかの真偽を鑑定いたします。

お知らせ

2024年5月27日
6月のくずし字解読講座は8日(土)午後1時30分から3時30分の2時間です。
参加費は3,000円。現在「女子消息文のてほどき」を読んでいます。途中からでも十分可能ですので興味にある方はぜひご参加ください。当時の生活事情や語句などからの時代などもなるほどというものもあります。
申込みは「相談・講座の申込みはこちら」からお願いいたします。
2024年5月27日
6月のくずし字解読講座は8日(土)午後1時30分から3時30分の予定です。
陶印づくりを楽しむ会は筆跡研究所、6月23日(日)午後1時から4時まで。上尾アトリエ薔薇の小径は6月25日(火)午後1時30分から4時30分までの予定です。

現在、会員募集中:参加費1回1,500円です。申込みは「相談・講座の申込みはこちら」からお願いいたします。陶器のはんこ(絵手紙・年賀状不封緘印等)だけでなく土鈴・墨置き、筆置き、ペーパーウエイト、等の小物も作っています。

2024年4月13日
「女子消息文の手ほどき」も65段まで読み進めました。次回は66段「転居報知の文(てんきょほうちのふみ)」から読み進めます。

当時の手紙文の言葉の使い方や言い回しが時代を感じさせます。「引っ越し」を「引き移し」等。

2024年4月2日
川越筆跡研究所での陶印づくりは4月14日(日)13:00~16:00の予定です。

入口前

 

受付

 

陶印と書


陶印

 

いろいろな手工芸品もありました。

 

収集家の俳句と画

第1回陶印等小作品展が三番町ギャラリーで開催し、無事終了いたしました。ご高覧、ご協力をいただきました皆様に感謝申し上げます。合わせて筆跡による行動分析(筆跡診断)や筆跡鑑定、くずし字解読などについて紹介させていただきました。筆跡診断体験や中国陶印篆刻体験をされた方々にも感謝申し上げます。また次年度開催予定です。更に出品をしていただけるとの声もあり本当にありがたいことです。


入口はいったところ

 

インテリアの書展
受賞作2点

 

入口より中を撮影


花舞(はがき)

 

ねがい(はがき)

 

希望(手漉き和紙はがき)

» お知らせ一覧

ブログ

2021年11月24日
第2回 12月25日(土)13:30=16:30  於:上尾市アトリエ薔薇の小径
年賀状用印などの作成を行います。来年度のみならず、干支の印や吉語など色紙や葉書に文字を書いたり、印を押したりしたものを展示し、また陶器の印や小物なども販売などできる場所を検討中です。筆跡研究所としては、筆跡相談などもワンコイン(500円)で希望者に実施し、その方には記念に陶器の印などを差し上げてもいいかと検討中です。

ミニ下駄・ぽっくり

 

陶器の印の粘土状態

 

土鈴とペーパーウェイト

ミニ下駄 絵柄

2021年11月20日
誤読しやすい変体仮名の解説-その1

俳句図書館所蔵

第8回まで国立国会図書館デジタルコレクション「有馬山温泉小鑑」の行基上人から仁西上人中興の話まで読んできて、ほぼ同じ変体仮名なので、今回はそれをもとに、西園寺公望の手紙を読んでみました。随所に応用できる場所があり、楽しめたと参加していただいた方からの感想を頂戴しました。まだ難しいところもあり、誤読しやすい文字について更に知識を深められたようです。「尓」「乃」「於」などは有馬山温泉小鑑と同じです。ほかの草書体についても解説をしました。次回も俳句などの短冊などから誤読しやすい文字を解説いたします。

2021年10月3日
俳句を主宰している友人から俳句や短歌などの短冊色紙などたくさんいただきました。くずし字の学習に活用くださいとのことでありがたく感謝しています。

これから解読できたものから順次掲載します。まず初めに斎藤茂吉の短歌の色紙です。変体仮名が使われています。これは茂吉の記念展に於ける複製です。

明治33年の「小学校施行規則」で仮名が一音一字に決められた結果、現行のひらがなとカタカナになりました。それ以外の字体(あ:阿・愛・悪・亜など)は「変体仮名」と呼ばれ、教育現場では指導されなくなりました。もちろんすべてすぐに一音一字になったのではなく、社会生活においては変体仮名を学んだ人たちは使っていたわけです。現在ではほとんど読めない状況になってしましました。

くずし字解読

さて、上掲の歌は、斎藤茂吉「ふ(婦)りさけて 峠を(乎)見れ(連)ば(盤) 現身は(者) 低きにより(里)て  山を越えにき 茂吉」です。

簡単な意訳

斎藤茂吉歌集「たかはら」昭和5年、高野山で開かれたアララギ安居会(あんごえ)に参加したときの歌で、「紀見峠遠望」と註がある。意訳すると、遠く仰ぎ見ると峠か見える、そこで生きている人々は山の低いところを通って苦労を少なくするために苦心して道路を作り行き来をして生活していたのだなという気付きを詠んだ歌

茂吉の筆跡と行動傾向

さて、色紙の書き方をみて、揮毫するという行動から、同じ行動である、話す、歩く、食べるなど共通の日常に於ける行動スタイルを少し、推察してみましょう!もちろん色紙揮毫という日常とは違う意識も働いていることになりますが、これは特に何かを構えて意識したときの行動、対人関係の表れになるかと思います。

斎藤茂吉は、この色紙では、一文字一文字、上下左右や文字間を等間隔にきちんと並べて配置する書き方です。これは全体への配慮や文字と文字の間をあけて落ち着いた書き方です。一つ一つ確実に計算して訂正に行動する傾向が見えます。几帳面といってよいでしょうか?

茂吉の性格をネット検索すると、何事も準備を十分にし、独自の価値観を持ち、とことん極める傾向があるようです。半面、他人に厳しい面もあります。行書体で書かれていますので、感性も感情も豊かな面もあるようです。

俳句を主宰している友人から俳句や短歌などの短冊色紙などたくさんいただきました。くずし字の学習に活用くださいとのことでありがたく感謝しています。 これから解読できたものから順次掲載します。まず初めに斎藤茂吉の短歌の色紙です。変体仮名が使われています。これは茂吉の記念展に於ける複製です。 明治33年の「小学校施行規則」で仮名が一音一字に決められた結果、現行のひらがなとカタカナになりました。それ以外の字体(あ:阿・愛・悪・亜など)は「変体仮名」と呼ばれ、教育現場では指導されなくなりました。もちろんすべてすぐに一音一字になったのではなく、社会生活においては変体仮名を学んだ人たちは使っていたわけです。現在ではほとんど読めない状況になってしましました。 くずし字解読 さて、上掲の歌は、斎藤茂吉「ふ(婦)りさけて 峠を(乎)見れ(連)ば(盤) 現身は(者) 低きにより(里)て  山を越えにき 茂吉」です。 簡単な意訳 斎藤茂吉歌集「たかはら」昭和5年、高野山で開かれたアララギ安居会(あんごえ)に参加したときの歌で、「紀見峠遠望」と註がある。意訳すると、遠く仰ぎ見ると峠か見える、そこで生きている人々は山の低いところを通って苦労を少なくするために苦心して道路を作り行き来をして生活していたのだなという気付きを詠んだ歌 茂吉の筆跡と行動傾向 さて、色紙の書き方をみて、揮毫するという行動から、同じ行動である、話す、歩く、食べるなど共通の日常に於ける行動スタイルを少し、推察してみましょう!もちろん色紙揮毫という日常とは違う意識も働いていることになりますが、これは特に何かを構えて意識したときの行動、対人関係の表れになるかと思います。 斎藤茂吉は、この色紙では、一文字一文字、上下左右や文字間を等間隔にきちんと並べて配置する書き方です。これは全体への配慮や文字と文字の間をあけて落ち着いた書き方です。一つ一つ確実に計算して訂正に行動する傾向が見えます。几帳面といってよいでしょうか? 茂吉の性格をネット検索すると、何事も準備を十分にし、独自の価値観を持ち、とことん極める傾向があるようです。半面、他人に厳しい面もあります。行書体で書かれていますので、感性も感情も豊かな面もあるようです。
2021年9月27日

仙波東照宮と右から書いています。高田早苗書と印が押されています。(川越仙波東照宮)

川越市の仙波東照宮に徳川家康公が祀られています。その階段下の右側に仙波東照宮の沿革碑があり、その題字を書いた人はどんな人でしょうか?

筆跡特徴で大きく目立つのは、「横線右下がり」です。

これは、一般に右上がりが多い中で、少数派を行こうとする傾向で、常識や一般などにはちょっと待てよ!とよくものごとを考えて行動する人に多い書き方です。したがって、見方がユニークであったり、じっくり考えたり、違う角度から物事を捉えたりして行動する傾向があります。このことは「筆跡の科学」森岡恒舟著に拠れば、評論家、学者、文化人に多いと書かれています。

普通、碑の題額は篆書体が多いのですが、「行書(連綿~線がつながる)」で書かれています。この辺も一般とは違います。また、連綿は、同じく森岡は、「情緒、伝統に魅かれて人情味がある。穴六の江戸時代型。」また、同じ太さで続け書きする強連綿傾向もあり、これも同じく森岡は「自信家型、集中力に優れる」と書いている。さらに、接筆(画と画が接する所)はきちんと閉じて接しています。

「接筆閉」、これも森岡によれば、小学校で習った書き方をずっと大人になった今でも忠実に書いているので「まじめ、潔癖、几帳面、ただ物事を決めてかかえい、融通が利きにくい面もある」とあります。

また行書であるのに、折れ曲がる所「転折」は、普通行書は丸くなりますが、角張っています。「転折角」です。この行動傾向も、森岡によれば、「几帳面、ルール通り行動する」とあります。自分の基準からぶれない行動をする人のようです。

もう一つ、文字の筆画の空間のとり方が急に狭くなることのない等間隔性を保っています。「等間隔」は、森岡は「平等の概念や等価の集積になるコンピュータ理論ともつながりを持つがいねんです。さらに言えば、部分的に苦しいところがないわけですから、理論や話の中にどこにも区がない、考え方の硬性も理路整然としていて無理がないということに通じるかもしれません。」と述べています。

最後に右に傾いた字形になっていますね、「右傾」といいますが、これについても森岡によれば「本人は、傾いているのが安定していて、一般には不安定で、転倒、挫折、失恋、倒産等のあまり好ましくない事態に陥りやすい傾向があります。その一方でこの書き方の人には優秀な人、天才肌の人も多いのです。」とあります。

高田早苗とインターネットで検索すると、次のように出てきます。ウィキペディアより。

1860年4月4日(安政7年3月14日)、江戸・深川(現在の東京都江東区)に生まれる。神田の共立学校(現・開成中学校・高等学校)や官立の東京英語学校(のちの一高)などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年(明治15年)に東京大学文学部哲学政治学及理財学科を卒業。法学者の小野梓と知り合い、大隈重信の立憲改進党に加わった。また、大隈と共に東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立にも参加し東京専門学校評議員・講師となり、早稲田の運営に力を注いだ。1887年から1890年末まで読売新聞主筆[3]。1901年、法学博士。1907年、早稲田大学が総長・学長制を敷くと、初代学長に就任(初代総長は大隈重信)。1923年(大正12年)5月から1931年(昭和6年)6月まで同大総長[2]。1928年、帝国学士院会員。

教育者として早稲田大学の運営に携わる間に、1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に埼玉二区(現川越市)から立候補し全国最年少で当選、立憲改進党系の政党に参加し、通算6期務めた。主筆退任の時期は第一帝国議会召集の時期に重なる。1897年第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)で外務省通商局長、1898年第1次大隈内閣(隈板内閣)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。1897年、外務省に入るに際して株主として経営に参画していた読売新聞からの退社を広告した[4]。1903年12月の議会解散以後は政界から暫く離れた。

1915年5月19日貴族院議員に勅選され[5]、また、8月には第2次大隈重信内閣の内閣改造で文部大臣として入閣した。

早稲田大学の式服や式帽、校旗などを定めることを発案し、職制なども定め、また、早稲田大学教旨の制定を発議した[6][7]。現在、早稲田大学にある高田早苗記念研究図書館は、高田の早稲田大学への功績をたたえて名づけられた。

1925年(大正14年)3月23日、仮放送を開始したばかりのラジオに出演、「新旧の弁」と題する講演を行った。これが日本最初の教育放送である[8]。

1931年(昭和6年)6月、病気を理由に早大総長を辞任。翌月10日の臨時維持員会は高田の名誉総長推薦を決議したが[9]、高田はこれを固辞して悠々自適の隠居生活に入った。1938年(昭和13年)12月3日死去。葬儀は大隈講堂で大学葬により行われた[10]。

妻は前島密長女。戒名は明教院顕誉半峰居士。墓所は豊島区駒込の染井霊園。

高田早苗-Wikipedia

如何でしたか?筆跡から読み解く人物像~書くという行動と共通する個々人の行動の関係でした。川越から議員に出馬しています。

仙波東照宮と右から書いています。高田早苗書と印が押されています。(川越仙波東照宮) 川越市の仙波東照宮に徳川家康公が祀られています。その階段下の右側に仙波東照宮の沿革碑があり、その題字を書いた人はどんな人でしょうか? 筆跡特徴で大きく目立つのは、「横線右下がり」です。 これは、一般に右上がりが多い中で、少数派を行こうとする傾向で、常識や一般などにはちょっと待てよ!とよくものごとを考えて行動する人に多い書き方です。したがって、見方がユニークであったり、じっくり考えたり、違う角度から物事を捉えたりして行動する傾向があります。このことは「筆跡の科学」森岡恒舟著に拠れば、評論家、学者、文化人に多いと書かれています。 普通、碑の題額は篆書体が多いのですが、「行書(連綿~線がつながる)」で書かれています。この辺も一般とは違います。また、連綿は、同じく森岡は、「情緒、伝統に魅かれて人情味がある。穴六の江戸時代型。」また、同じ太さで続け書きする強連綿傾向もあり、これも同じく森岡は「自信家型、集中力に優れる」と書いている。さらに、接筆(画と画が接する所)はきちんと閉じて接しています。 「接筆閉」、これも森岡によれば、小学校で習った書き方をずっと大人になった今でも忠実に書いているので「まじめ、潔癖、几帳面、ただ物事を決めてかかえい、融通が利きにくい面もある」とあります。 また行書であるのに、折れ曲がる所「転折」は、普通行書は丸くなりますが、角張っています。「転折角」です。この行動傾向も、森岡によれば、「几帳面、ルール通り行動する」とあります。自分の基準からぶれない行動をする人のようです。 もう一つ、文字の筆画の空間のとり方が急に狭くなることのない等間隔性を保っています。「等間隔」は、森岡は「平等の概念や等価の集積になるコンピュータ理論ともつながりを持つがいねんです。さらに言えば、部分的に苦しいところがないわけですから、理論や話の中にどこにも区がない、考え方の硬性も理路整然としていて無理がないということに通じるかもしれません。」と述べています。 最後に右に傾いた字形になっていますね、「右傾」といいますが、これについても森岡によれば「本人は、傾いているのが安定していて、一般には不安定で、転倒、挫折、失恋、倒産等のあまり好ましくない事態に陥りやすい傾向があります。その一方でこの書き方の人には優秀な人、天才肌の人も多いのです。」とあります。 高田早苗とインターネットで検索すると、次のように出てきます。ウィキペディアより。 1860年4月4日(安政7年3月14日)、江戸・深川(現在の東京都江東区)に生まれる。神田の共立学校(現・開成中学校・高等学校)や官立の東京英語学校(のちの一高)などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年(明治15年)に東京大学文学部哲学政治学及理財学科を卒業。法学者の小野梓と知り合い、大隈重信の立憲改進党に加わった。また、大隈と共に東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立にも参加し東京専門学校評議員・講師となり、早稲田の運営に力を注いだ。1887年から1890年末まで読売新聞主筆[3]。1901年、法学博士。1907年、早稲田大学が総長・学長制を敷くと、初代学長に就任(初代総長は大隈重信)。1923年(大正12年)5月から1931年(昭和6年)6月まで同大総長[2]。1928年、帝国学士院会員。 教育者として早稲田大学の運営に携わる間に、1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に埼玉二区(現川越市)から立候補し全国最年少で当選、立憲改進党系の政党に参加し、通算6期務めた。主筆退任の時期は第一帝国議会召集の時期に重なる。1897年第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)で外務省通商局長、1898年第1次大隈内閣(隈板内閣)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。1897年、外務省に入るに際して株主として経営に参画していた読売新聞からの退社を広告した[4]。1903年12月の議会解散以後は政界から暫く離れた。 1915年5月19日貴族院議員に勅選され[5]、また、8月には第2次大隈重信内閣の内閣改造で文部大臣として入閣した。 早稲田大学の式服や式帽、校旗などを定めることを発案し、職制なども定め、また、早稲田大学教旨の制定を発議した[6][7]。現在、早稲田大学にある高田早苗記念研究図書館は、高田の早稲田大学への功績をたたえて名づけられた。 1925年(大正14年)3月23日、仮放送を開始したばかりのラジオに出演、「新旧の弁」と題する講演を行った。これが日本最初の教育放送である[8]。 1931年(昭和6年)6月、病気を理由に早大総長を辞任。翌月10日の臨時維持員会は高田の名誉総長推薦を決議したが[9]、高田はこれを固辞して悠々自適の隠居生活に入った。1938年(昭和13年)12月3日死去。葬儀は大隈講堂で大学葬により行われた[10]。 妻は前島密長女。戒名は明教院顕誉半峰居士。墓所は豊島区駒込の染井霊園。 高田早苗-Wikipedia 如何でしたか?筆跡から読み解く人物像~書くという行動と共通する個々人の行動の関係でした。川越から議員に出馬しています。
2021年9月7日
Andoroid版とiOS版で利用は無料です。早速使ってみました。

国立国会図書館デジタルコレクションの「有馬山温泉小鑑」の冒頭の目録部分を「みを」を使って試してみました。だいぶ読めます。いくつか間違っているところもありますが、修正機能もあり、テキスト化も可能です。90%前後解読します。しかし、書道の草書作品や手紙類はまだまだのようです。「こと」などの合字などはこれからの課題のようですが、これで大変助かる人もいるかと思います。同じようなくずしを文章の流れからどう読むかも課題であると思いました。

2021年8月25日
毛筆で書くこととスマホ・タブレットの違い
SNSなどの心配以外に、脳や心への影響が大きいから!

筆記具、特に毛筆小筆で言葉(文字)を書くことは、指先に神経を集中し、目を使い、書かれる対象の紙などとの微妙な小刻みに震える感触や筆圧の関係を瞬時に感じ、脳と神経を通してやり取りしながら書き進めていく。

このことは、パソコンやスマホを扱う便利な機器とは大きく異なっている。そのことをよく知っているIT関連の人物の話を紹介します。携帯電話やスマホの弊害について、既ににご存じの方も多いと思いますが。制限が必要のようです。

→スティーブ・ジョブズは
わが子になぜiPadを触らせなかったのか?

といった副題がついていましたが、
結論としては「悪影響があるから」だったそうです。

スマホに依存すると、
集中力が低下し、孤独感が強まり、
心の不調に陥る危険性があるとして、
デジタルデバイスを触らせなかったそうです。

さらには、
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、
子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったそうです。

悪影響があるのは大人も同じで、
フェイスブックの「いいね」機能を開発した
ジャスティン・ローゼンスタインは、
自分のフェイスブックの利用時間を制限し、スナップチャットをやめ、
スマホ利用を制限するアプリまでインストールしているそうです。

それほど、現代人の脳は危険にさらされており、脳の状態も良くないようです。

とはいっても、
仕事をするうえでパソコンやインターネットは欠かせないですし、
日常生活をするうえでもスマホを使わないのは無理がありそうです。

じゃあ、どうしたらいいのか? ってことですが、

制限するのにも無理がありますし、
自分で脳のケアをするしかないでしょう。

そんなこと出来るの?

非常に興味深い手法があるそうです。

頭蓋骨を自らハンドケアすることで、脳の機能を高めるという方法だそうです。

ちょっと怪しいなとも思ったのですが、
ベースとなっているのは日本に昔からある「手当」だそうで、
副作用もないし、自分で出来るというのも良いですね。

それに、40万人以上の臨床で結果が出ていて、
著名人、有名人、モデル、俳優、歌手、プロスポーツ選手なども
密かに取り入れているそうです。

2018,3「The Times」などを引用

私は「手当」にも賛成ですが、脳の活性化に「手書き」、特に小筆による新しい内容を紙に書くことをお勧めします。俳句でも短歌でも水彩画でも創造力を働かせ脳に刺激を与えましょう。何でもマンネリを防ぐことが必要と考えます。

毛筆で書くこととスマホ・タブレットの違い SNSなどの心配以外に、脳や心への影響が大きいから! 筆記具、特に毛筆小筆で言葉(文字)を書くことは、指先に神経を集中し、目を使い、書かれる対象の紙などとの微妙な小刻みに震える感触や筆圧の関係を瞬時に感じ、脳と神経を通してやり取りしながら書き進めていく。 このことは、パソコンやスマホを扱う便利な機器とは大きく異なっている。そのことをよく知っているIT関連の人物の話を紹介します。携帯電話やスマホの弊害について、既ににご存じの方も多いと思いますが。制限が必要のようです。 →スティーブ・ジョブズは わが子になぜiPadを触らせなかったのか? といった副題がついていましたが、 結論としては「悪影響があるから」だったそうです。 スマホに依存すると、 集中力が低下し、孤独感が強まり、 心の不調に陥る危険性があるとして、 デジタルデバイスを触らせなかったそうです。 さらには、 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、 子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったそうです。 悪影響があるのは大人も同じで、 フェイスブックの「いいね」機能を開発した ジャスティン・ローゼンスタインは、 自分のフェイスブックの利用時間を制限し、スナップチャットをやめ、 スマホ利用を制限するアプリまでインストールしているそうです。 それほど、現代人の脳は危険にさらされており、脳の状態も良くないようです。 とはいっても、 仕事をするうえでパソコンやインターネットは欠かせないですし、 日常生活をするうえでもスマホを使わないのは無理がありそうです。 じゃあ、どうしたらいいのか? ってことですが、 制限するのにも無理がありますし、 自分で脳のケアをするしかないでしょう。 そんなこと出来るの? 非常に興味深い手法があるそうです。 頭蓋骨を自らハンドケアすることで、脳の機能を高めるという方法だそうです。 ちょっと怪しいなとも思ったのですが、 ベースとなっているのは日本に昔からある「手当」だそうで、 副作用もないし、自分で出来るというのも良いですね。 それに、40万人以上の臨床で結果が出ていて、 著名人、有名人、モデル、俳優、歌手、プロスポーツ選手なども 密かに取り入れているそうです。 2018,3「The Times」などを引用 私は「手当」にも賛成ですが、脳の活性化に「手書き」、特に小筆による新しい内容を紙に書くことをお勧めします。俳句でも短歌でも水彩画でも創造力を働かせ脳に刺激を与えましょう。何でもマンネリを防ぐことが必要と考えます。

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